千葉市管弦楽団は、1974年12月1日に音楽愛好家の市民によって設立され、1975年11月3日に初めての演奏会を開きました。現在、在籍団員数は約70名を数え、千葉市とその周辺(県外在住の団員もいます!)より練習に駆けつけています。練習は原則的に毎週日曜日の午後に行っています。
年2回の定期演奏会を活動の柱とし、一部の団員で市内外の演奏会に参加することもあります。また、下記団体の会員としての活動も展開しています。常任指揮者として土田政昭氏をおき、その他の客演指揮者にも定期的に演奏会指揮および練習指導を依頼しています。
公益社団法人 日本アマチュアオーケストラ連盟会員
千葉交響楽団協会会員
千葉市音楽協会団体会員
【団の歴史】
●誕生~第1回定期演奏会まで
千葉市管弦楽団は1974年、音楽愛好家の川端基起氏と福原豊雄氏の尽力により、当時アマチュアのオーケストラが存在しなかった千葉市において初の本格的なオーケストラとして発足しました。もちろんオーケストラ設立までの道のりは平坦なものではありませんでした。川端氏は福原氏との会話の中で、その計画を以下のように持ちかけています。
[川端]「実はお願いしたい事があるんだけど、アマチュアオーケストラのプロモーターになって貰えないかな?今、千葉市にオーケストラを作る計画を練っているところなんだ。」
[福原]「アマチュアオーケストラだって?とんでもない。四街道に来て5年になるけど一人もクラッシック音楽の仲間を見つけていないし、貴方だってそうでしょう?千葉には一人も仲間がいないと先日言っていたばかりでしょう。一体どうやって人を集めようというの?」
[川端]「ここにAPA(エイパ)と言うアマチュア音楽家の紹介を目的にした名簿があるんだけど、千葉在住の人も数人載っていてね、その人達に電話したらと思うんだ。」
[福原]「そりゃあトリオやカルテットは組めるかもしれないけれど、オーケストラは絶対ダメ。オーケストラとなると最低30人は必要でしょう。とても千葉にそんなに大勢のアマチュア演奏家がいると思えないし、大体、千葉という所は文化不毛の地と悪口を言われているじゃない。」
[川端]「実は面白い統計をした人がいてね、日本のアマチュアオーケストラとその市の人口との関係を調べると、アマチュア音楽家は人口1万人に付き必ず一人はいると言うんだ。千葉市は人口50万だから50人の音楽家は絶対にいると思うな。そしてその近郊を加えると100人のオーケストラが間違いなく出来るよ!」
そして12月、福原氏の自宅に集まった最初の8人はバッハの管弦楽組曲第2番を演奏。まさにこのとき千葉管35年の歴史の最初の1音が奏でられたのです。偉大な芸術へ触れることへの喜び、合奏の楽しみなど様々な興奮が8人を支配します。そしてその興奮は更なるステップへの源となり、進んでいくのでした。
その後も川端氏と福原氏はコンサートホールでの本格的なオーケストラ演奏会を実現すべく奔走。毎週土曜日には市役所、市教育委員会、音楽専門家、新聞社、雑誌出版社、楽器店、テレビ局、ラジオ局と駆けずり回り、楽団の結成に伴う体制作りを行い、同時に団員の募集を呼びかけました。そして翌日の日曜日は猛練習とオーケストラ漬けの休日を毎週のように続けます。彼らの呼びかけに応えるように練習ごとにメンバーも増え、徐々に活気も増してきました。練習後は必ず居酒屋へ集合し、互いの意見を応酬させました。
翌年3月には千城台公民館でミニコンサートを開催。5月にはホリデーコンサートと銘打ちベートーヴェンの交響曲第8番を演奏。団体としての体制も徐々に整備され、6月には千葉市音楽協会に加盟します。8月には群馬県新治村(現みなかみ町)で合宿を行い、その際サマーコンサートとして現地の方々へ演奏を披露しました。
こうした地道な努力が実を結び、第1回定期演奏会は創立のほぼ1年後、1975年11月3日(文化の日)に千葉市民会館の大ホールで72名のメンバーによって行なわれました。その日は天が千葉管の門出を祝福するかのような、見事な日本晴れだったそうです。
「大丈夫、リラックスして楽しくやろう!」
本番直前、指揮を務める川端氏は緊張する団員へ向けて激励の声をかけます。そしてステージへ…演奏開始。この日の最後のプログラムであるドヴォルザークの交響曲第8番が終了すると、大きな仕事を成し遂げた団員達、会場を埋め尽くした観衆、それぞれが大きな感動に包まれていました。
この模様を取材した毎日新聞には次のような記事が掲載されました。「会場を埋め尽くした大聴衆に団員一同感激を新たに懸命に演奏、成功裡に幕を閉じた。アンケートによると70%以上が『感激した』『良かった』と答えており『初めての定期演奏会としては大成功』と団員も大喜び。団員達は『さらに腕を磨いて立派な楽団にしよう』と決意を新たにしていた。」
演奏会後もこの新進気鋭のオーケストラは意欲的に活動を続けます。同11月には千葉市文化祭へ参加。翌12月には団内の室内楽発表会を開催。現在も続く活発な演奏活動の礎がここに築かれたのでした。
●創立5周年記念演奏会
この頃より青木明先生や、のちに常任指揮者を務めることとなる土田政昭先生などを迎え、指導体制の強化が図られます。加えて市からの補助金も得られ、団所有楽器の整備も行われました。 また78年には千葉市教育委員会との根気強い協議が実り、現在も続いている「小・中学生のためのオーケストラコンサート」の第1回を開催するに至りました。この企画は当時も大きな話題を呼びました。
しかし演奏活動が活発になるとともに、運営面、演奏面で様々な問題点も必然的に露呈されます。もちろんそれらは対話や努力によって克服されていくのですが、現在の状況や問題点、今後の展望などを白書の形でまとめた記念誌を創立5周年の節目として発行しました。
創立5周年記念演奏会は第1回定期演奏会と同じドヴォルザークの交響曲第8番を演奏。団の創成期の苦労を懐古したメンバーは、その演奏に大きな高揚感を覚えます。またこの演奏会では佐久間豊春氏をソリストに迎え、ハイドンのチェロ協奏曲第2番を演奏。世界に数台しか存在しない400年前の名器マジーニによる演奏で、会場中がその音色に酔いしれました。
●創立10周年記念演奏会
1984年4月、2代目の団長であった渡辺潔氏は、友人であり作曲家の服部公一氏と都内某所で偶然にも遭遇。渡辺氏は数年ぶりの対面にも関わらず、挨拶もそこそこに千葉管創立10周年記念演奏会の指揮を引き受けてくれる人物の紹介を依頼します。服部氏はこう答えました。
「小松一彦氏に聞いてみるよ。ただし僕の作った“神楽”も弾くと言う条件でね!」
依頼は快諾され、これが日本初演となる“神楽”に加え、ベルリオーズの幻想交響曲も演奏されることになりました。その年の夏には副指揮者の久保田悠太香氏が、秋には小松氏自身が練習参加を開始。練習で幻想交響曲終楽章の鐘の音色に小松氏が不満を訴えるハプニングがあったものの、交換後の鐘では問題は無く、本番での演奏もけだるさや狂気、陶酔がよく表された好演でした。服部氏を「豪州での世界初演よりも良かった。」と言わしめた“神楽”の演奏も加わり、会場の喝采が鳴り止むことはありませんでした。
●創立15周年記念演奏会
前述の創立10周年記念演奏会を過ぎたあたりから様々な面でオーケストラが充実してきたこともあり、団内で「大曲へ挑戦したい!」という機運が高まります。
そしてこの記念演奏会では、人気が高く、演奏技術、楽器編成、演奏会全体のマネージメント、どれもが高いレベルを要求されるマーラーの交響曲より、第1番「巨人」が採り上げられることになりました。どの団員も練習を繰り返してもなかなか上達しないジレンマに苦しめられますが、常任指揮者に就任した土田政昭先生の厳しい指導のもと、なんとか本番を乗り切ることに成功します。
この演奏会を契機に、マーラーの他の交響曲やブルックナーの交響曲など、大作への挑戦が更に続くこととなります。
●創立20周年記念演奏会
千葉管の成人式にあたる20周年には、前回の記念演奏会に引き続きマーラーの次の交響曲、第2番「復活」が演奏されました。
この曲は大編成のオーケストラの他にソプラノとアルトのソリスト、そして100名を越える混声合唱を必要とし、団員自身の演奏技術はもとより運営面でも大変な苦労がありましたが、それらを乗り越え、最後は演奏者も会場も感激に包まれる感動のフィナーレを迎えることが出来ました。また、普段は楽器を演奏することのみに集中している我々に、歌唱というもののすばらしさを改めて認識させた演奏会でした。
●創立25周年記念演奏会
この記念演奏会では、マーラーの交響曲第3番が演奏されました。この曲は古今東西すべての交響曲の中でも最長の演奏時間(約100分)を要するものです。この長大さに加え、滅多に使用されないような特殊楽器を加えた大編成オーケストラ、アルト独唱者、女声合唱(混声合唱ではなく)や児童合唱を必要とするなど、その様々な特殊性から実現へ向けての道のりは演奏、運営の両面において困難を極めました。しかし紆余曲折を経て辿りついた演奏会本番の最終第6楽章は他に得難い美しさと愛に満ちており、最後のニ長調の巨大な和音が空間に余韻となって消えていくさまやその後の静寂は、至上の時間と経験をホール全体にもたらしました。
●創立30周年記念演奏会
記念演奏会においてマーラー以外の挑戦もという観点から、リムスキー=コルサコフの難曲、交響組曲「シェエラザード」を中心としたプログラムが組まれます。またNHK交響楽団コンサートマスターである山口裕之先生が特別に参加することとなり、プロ奏者の音色と技術を間近に接するまたとない機会となりました。
●創立35周年記念演奏会
この記念演奏会では、創立10周年記念演奏会以来となるベルリオーズの幻想交響曲と、ショスタコーヴィチ若き日の難曲、交響曲第1番を演奏することになりました。団員はこれらの難曲を演奏すべく、岩井海岸(南房総市)で合宿を行い演奏会に備えます。本番では前回とはまた違った成熟した幻想交響曲を披露し、聴衆を魅了しました。
今後も「地域(市民)とともに」「いつもステキな音楽を!」をモットーとし、楽器演奏を何よりの楽しみとする仲間と楽しく、真剣にオーケストラを創り上げていきます。